私のストーリー

story

「あっ!コッペパンだ」
「今度、あれ食べたい。」

散歩に行く途中の幼稚園児たちが口々に看板を指さして笑ってくれる。
窓ごしにダウン症の長女がパンを並べながら園児たちに手を振っている。
そんな日常の一コマが、とてつもなく愛おしい。
今でも思い出す、この子が生まれた日を、パン屋を開こうと決意した日を。

豊中のロマンチック街道沿いの少しいったところに見えてくる
大きなけやきの木と黄色の三角屋根。

お店を開いたのは2017年12月。
某大手外資系企業で英語を駆使しながら働いていた私が

50歳を過ぎてからパン屋さんを開店するとは全く思い描いていなかった。

結婚して4年目で生まれた待望の女の子、 由季。
出産して2時間後に喜びと幸福感を味わう時間もなく厳しい現実が告げられた。

「お子さんには心臓に疾患があり、手術を受けなければいけない。
そしてもう一つ、薬でも手術でも治すことのできない病気、ダウン症の疑いが95%あります。」

その言葉を聞いた瞬間めまいがして、頭が真っ白になった。
「この子が二十歳になったらどうなるのだろう?」

その日の夜、主治医がふらっと病室に来て言ってくれた。

「今はいろいろ考えるだろうけど。この子が居る生活にだんだん慣れていてくるから」

その後、国立循環器病センターで
「6か月までに手術しないと、2歳までの命です」と告げられた。

生後2か月で入院、6か月で手術。
夫も毎日仕事の合間に 由季をお風呂にいれ、ミルクを飲ませてくれた。
同病室だったお子さん達が亡くなった。

決心した。この子を育てていく中で、
今までとは違った視点から社会を勉強させてもらおうと。

私の父、母が沢山の愛情を注いで 由季を育ててくれた。

妹の友美も保育所の頃から姉を守ってくれた。
由季がいじめられそうになった時は自分より大きな相手をにらみつけていた。
そんな妹を姉もいつも気にかけ守ってくれていた。

そんな妹は人の良い所を見て、決して相手を悪く言わない子に育ってくれた。
周囲の人に支えられ、 由季は明るく心の優しい人に育っていってくれた。

20年前に今の店舗兼住宅をパンダッコの建物を購入した時、母が言った

「1階で将来、 由季ちゃんとパン屋さんが出来たら良いね。」

この言葉がなぜか頭に残った。
とても気になってはいたが、当時は父の仕事を手伝い、
子育てをして忙しく、テナント貸にするのが精一杯だった。

2回目に店舗を貸した先が就労移行支援事業所だった。
障害を持った人達が社会で働くための訓練をする場所。

そこではお菓子のマドレーヌを焼いて販売していた。
その事業所が退去する時に、大きなオーブンを置いていってくれた。

その時ずっと頭に残っていた母の言葉が蘇ってきた。

「1階で将来、 由季ちゃんとパン屋さんが出来たら良いね。」

母と思い描いていた夢を実現できるチャンスがやって来た!
その時、 由季は高校を卒業し、19歳になっていた。

決心はしたものの、パン屋をするということは自分の生活が180度変わるということ。
趣味でしかパンを焼いたことがなかった私に出来るのだろうか?

しかし、このチャンスを逃してしまうと一生後悔する。
チャンスの神様は前髪しか生えていない。
私はチャンスの神様の前髪を掴むことにした。

それから、大阪府でもパン屋激戦区の高槻で8か月間修行。
この歳で怒られてばかり。行くのが憂鬱でしかたなかった。
しかし、今ではあの厳しいシェフの言っていたことが理解できる。

いよいよオープンに向けて内装に取り掛かる前日に兄に言われた。

「辞めるんやったら今やで。お金も損せえへんし、大変な思いもせんでええで。
テレビでやってたあの『貧乏大作戦』みたいになったらあかんで。」

私の心は少しぐらついた。
しかし、兄の言葉で逆に決意をさらに固めた。

そして、お店のコンセプトをこう決めた。
赤ちゃんからお年寄りまで食べて頂ける「ふわふわ、もちもちのコッペパン」。
天然素材にこだわり、無添加のコッペパン。

創業のコンセプトを貫いて4年、お客様たちが決まって口にして下さるのが、
「コッペパン自体が美味しい。パンが美味しい。」

そんなコッペパンに色んな具材を挟み、
お惣菜系から甘い系までバリエーションは約20種類に増えた。

今では他に、天然素材、無添加、自家製ルヴァン種、
全粒粉入りの健康に良いベーグルも焼いている。

今、由季はお店で焼きそばを作り、洗い物を一手に引き受け、
最後に掃き掃除をして仕事を終える。
作業場の電気を最後に消すのも 由季だ。
パンダッコのスタッフさんたちと楽しく働き、充実した毎日を送っている。

由季はいつも言う。
「パンダッコのパンが一番美味しいもんね。」
由季がパンダッコの一番のファンなのかもしれない。

由季が、「この世に生まれてきて良かった。楽しく、充実した人生だった」
と思ってくれたら、と思い立ち上げたパンダッコ。

いつか移動販売車の「パンダッコ号」にたくさんのコッペパンやベーグルを乗せて、
娘と同じような境遇の人達と一緒に日本中でパンを売りに行けたらと夢は膨らむ。

やがて私たち親は老いてこの世を去っていく。
その時この子が、この子と同じような障がいを持った子たちが、
仕事を通して、楽しく充実した日々を暮らせるように。
ここがそんな発祥の地になればいい。

雲の上で母に再会した時、
「お母さんが言ってくれた通りになったよ」
そんな報告ができれば。

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